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執筆者の写真特定非営利活動法人 桑の実

自己開示の限界点

相手の悩みを聞いたり相談を受けたりするとき、当然ですが会話によるコミュニケーションにより進行していきます。

そこには、時折経験や知識が必要な場合もありますが、基本的に必要なことは通常の会話と同じ、適切なコミュニケーションのキャッチボール能力です。

相手の話に興味を持って積極的に耳を傾け、相槌やボディランゲージや表情で相手に話しやすい環境を作り、それぞれが手綱を持つことで、その場は成立していくのです。

これは何も特別なルールでもなんでもなくて、友達同士や恋人同士の会話であっても、仕事仲間との会話であっても全く同じコミュニケーションの原則が基本的に必要なスキルです。


そのコミュニケーションの原則の中には、お互いが開示しあうというものもあります。

例えば、一方が相手を信頼して誰にも言ったことのない悩みを打ち明けてくれたとしたらどうでしょうか。その話に真摯に向き合うだけでなく、自分も相手になにかしらの自己開示をしていかないと、いずれコミュニケーションのバランスが崩れてしまうでしょう。


相談する側と受ける側という役割が存在する以上、多少の偏りが出てしまうことは致し方ないですが、過剰になりすぎると相談する方が深く自己開示が出来なかったり、過度な甘えを誘発してしまうこともあります。


わざとそれっぽく書いてますがもう少しわかりやすい表現をすれば、人の話を聞かずに延々自分の話をする人は周りから人が去っていくだろうし、おせっかいに人のことは何でも聞きまわって自分のことはなにも教えない人は信頼されず、やはり人は去っていってしまうでしょう。




こういったコミュニケーションの原則を外れたコミュニケーションはいずれ綻びが表れ、どんどんいびつさを増していってしまいます。

とはいえ難しいのは、どこまで自己開示するのか?という点です。


もちろん、友達同士や家族の間柄であれば相手と同じくらいの深い話をすることが望ましいでしょう。しかし、私たちは支援者と利用者、というやや特殊な立場での関わりなわけです。


当然プライベートなことはあまり開示できないという側面もありますし、同じ深さの話を返したところで、受け取る側が受け止めきれないという問題も発生してきます。このあたりの自己開示の塩梅というのが、非常に難しいものなんですよね。


抽象度を上げたり、他の人のエピソードを少し拝借したり、あの手この手で“良い加減”な話を探し出し、相手が話しやすい、そして過度に依存しすぎないような雰囲気、その場の環境を作れるように努めます。


言葉のキャッチボールというのは何もフレーズごとの小さな視点だけではありません。ミクロの視点ではなく、むしろ会話全体やお互いの立場などといった大局的なマクロの目線を持つことでやっと“言葉のキャッチボール”という言葉の意味を成します。


コミュニケーションの中でも多くの人が経験ある“自己開示の範囲”についての悩み、正解などないからこそ、考える価値があるんでしょうね。


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